名護屋城と大野治長陣跡

私は名護屋城天守台から海の方を見ましたが、徳川家康の陣と天守台の間に大野治長の陣があるという位置関係でした。つまりは、もし家康が本丸に攻め込んできた場合、最後の砦は大野治長の陣しかないという位置関係です。これを見た時に、治長が大蔵卿局の息子だから秀吉の側近でいられるというだけではなく、やはり、父親大野定長尾張出身で秀吉から信頼されているからこその陣の配置ではないかと思いました。定長の京都出身説もありますが、尾張木下藤吉郎秀吉が本丸を守る最後の砦としたのは京都出身の大野定長の息子ではなく、尾張出身の大野定長の息子とした方が私的には納得できます。ちなみに大野治長陣跡のプールから絶滅危惧種カスミサンショウウオが発見されたのは付け足しておきます。